長い回廊。 くすんだ煉瓦の壁と、白と黒のタイルが交互に並ぶ市松模様の単調な床が続く廊下をもういかほども歩いただろう。 長い通路は左曲がりの螺旋を描いて上へと向かっているらしかった。 足元を照らす蝋燭は一つも消えることなく、同じ距離を刻んでいる。 自分は死んでしまったのだろうか?ふと、そんな思いが頭をよぎる。 けれど、靴越しに足の裏に感じる石の冷たさはどうしようもなく確かで、自分を地面へと引きつける重力の存在も、彼に生を実感させた。 天国にも重力はあるのだろうか…? もしも重力がなかったら血液が頭部に集まって大変だ、なんて思う。 このままどこまでも高く上っていければいいのに・・・。まるでくるくると円を描いて飛んでいく人工衛星のように。 だが、永遠に続くかとも思われた道は、どうやらここで終わりのようだった。 永遠に続く命がないように 永遠に続く道なんてありはしない。 道の果てにあったのは、扉だった。古い木材を使ったアンティークな様式の扉である。 もしもここが天国だったら 似つかわしい扉だな、と思いながら、少年はドアをノックする。 「開いていますよ。お入りください」 答えに応じて部屋に入ると、小さなオフィス風の部屋だった。 本棚と事務机と椅子、それに観葉植物の小鉢が一つ。 天井からは裸電球が柔らかな光は部屋の全てを照らし出すには光量が足りないようだった。 一見して生活には向かない部屋だ。 「お掛けになってください」 と、部屋の主が言った。 少年は言葉通り、一脚しかないその椅子に掛けて男を見た。 少年は父親の顔を覚えていなかったが、自分に父親がいたらこれくらいの歳だろうと思う。 Yシャツに黒いネクタイ、黒のスラックスをはいて銀縁のメガネを掛けている。 白髪が混じり始めたその髪は、綺麗に纏められていた。 「はじめまして…壱岐ユウイチ君。」 「どうして、僕の名前を?」少年、ユウイチは驚いて問う。 「君がここに来ることを望んだからです。どんな人間もその人が居たい所に居る。誰かに強制された道でさえ、最後にその道を選択するのはその人自身だ。違いますか?」 「答えになってないように思うけど…」 「そのうち理解できますよ」男は微笑んで言った。 「あなたは誰?」 「当然の疑問です。私は貴方が来る事が解っていたが、君は未だ何故自分がここにいるのか理解できていないでしょうから」 男は、抽斗からショートホープを取り出して、火をつける。 そして大きく一息吸うと満足げに微笑んで、続けた。 「私は…転居管理人です。お客様が望まれる転居先を検索、選出、推薦し、またそのアフターケアを管理させていただいております」 「転居?…引越しのこと?僕はそんなこと…」 「望まれない方はここにいらっしゃいません」 男は立ち上がり、本棚に向かう。一番下の段から分厚い黒の皮の表紙のファイルを取り出し、開いて少年に示す。 「そうですね…。ここなど、いかがでしょう?」 覗き込むとそこには一枚の古い絵が描かれていた。絵の中ではユウイチと同じような歳の子供達が描かれている。 皆楽しげに微笑んでいる。大人の姿は描かれていないようだった。 ユウイチはこの絵に、どこか惹かれた。タイトルは…「らせん」と、ある。 「いかがです?」 男は楽しげに微笑んで言う。 「いかが、って…よく、わからないよ。これと引越しと何か関係があるの?」 「あなた、この絵を見てどう思われました?」 「え?」 「気に入られましたか?」 「それは…うん、いい絵だと思うけど…」 「エクセレント。大変結構です、壱岐さん。どうぞこちらへ」 男は満足そうに微笑むと、ファイルを閉じて立ち上がり、手でドアを示した。 「でも…」 「ええ、そこは確かに貴方が先ほどいらっしゃった道ですね」 男は口を斜めに傾け、立ち上がってドアへと向かう。 「けれど、先ほどと同じ道ではありません。毎日通る道でも足を置く場所が同じになることはないようにね。」 そう言って懐から封筒を取り出して少年に手渡す。 「これは契約書です。帰ってからお読みください。」 そう言って笑う男の顔がユウイチにはとても懐かしいものに感じられた。 まるで小さい時に遊んだ公園の夕焼けと、一人で飲んだラムネのように。 |